Festival Report フェスティバル レポート 2019
刀に込める魂の姿は?/SAMURAI PERFORMERS syn
まず、舞台に踊り出るのは、何とも情けない侍・YAMATO。縮れ頭をひっつめにし、やたらに低姿勢なしゃべり方が笑いを誘う。後から出てきたイケメンの後輩侍・SHINICHIの、たすきのかけ方一つに「カッコつけちゃってぇ。」と嫉妬をむき出しにし、勝負に負けそうになれば、5歳前後の”伝説の勇者”を恥じらいもなく担ぎ出し、「悪い侍を倒してください。」と懇願(こんがん)する。そんな姿を見たら、”侍”と呼ばれる人たちのハードルがグイグイと下がっていって、それまでは何気なくパフォーマンスを見ていた人たちだって、ついつい笑わずにはいられなくなってしまう。
一方、そんな笑い中に差し挟まれるYAMATOの殺陣の解説は、常にそれとは真逆のベクトルを示す。「映像作品とは違い、編集が一切利かず、実際に刀を当てる殺陣の迫力は、大道芸だけが見せられるものです。」と重ねて語る通り、一対一の殺陣に臨むYAMATOとSHINICHIの眼には、笑顔の中にも”ガチの勝負”に挑む者だけに宿る、強い光が灯る。そうなったらもう、今度、観客は早鐘を打ち始めた心臓を押さえながら、その真剣勝負をただただ見守ることしかできないではないか。
SAMURAI PERFORMERS synのパフォーマンスは、見る者をそんな上を下へのエンターテインメントに、問答無用で引きずり込む。ウィットの利いた、キレのあるYAMATOのトークと、口よりは刀で語るSHINICHIのキレのいい体捌きが、それを更にふくらませてゆく。
遥か昔から日本人は、世界の国々の中でも抜きん出て、”刀”に祈りを込め、その魂を宿らせる民族だという。だが、彼らが刀に宿らせる魂は、通常の刀とは違い、決して人を傷つけない。そこにあるのは降りかかる苦しみに立ち向かう勇気、生き辛ささえ跳ね返す笑顔、自分のカッコよさも情けなさも引き受けて生きる強さ。つまりは生命力そのものだ。
そんな力と魂を込めたメッセージを、最も強烈に伝えられるパフォーマンスは大道芸をおいて他にない、と二人は声を揃える。SAMURAI PERFORMERS synの、”syn”はシン、と読む。シンは『神』なり、『身』なり、『信』なり。『新』であり、 『真』であり、 『進』でもある。そしてその全ては最後には『心』のもとに統べられる―。
約束しよう。
二人のパフォーマンスに大笑いして、殺陣のカッコよさに気持ちがアガったその後には、また、明日が笑って迎えられそうな明るい気持ちが、胸のどこかに芽生え始めているはずだ。
(晴)
2019/11/02 06:57 PM